
日本のモータースポーツの原点であり、現在の二輪業界の発展に多大な影響を与えた伝説のレース。それが「富士登山レース(正式名称:富士登山軽オートバイ競争大会)」である。
1953年(昭和28年)から1956年(昭和31年)にかけて計4回開催されたこの大会は、当初は富士山の山開きを記念した観光誘致の色合いが強いイベントであった。コースは富士宮市の浅間大社前をスタートし、ダート(未舗装)の富士山表口登山道を2合目まで一気に駆け上がるという過酷なタイムトライアル方式が採用された。
※歴史的な補足として、戦前の1912年等にも小規模なレースは存在したが、戦後のモータースポーツ黎明期において「日本の二輪メーカーが技術を競い合う本格的なレースの先駆け(原点)」となったのがこの富士登山レースである。
軽オートバイ限定規定が引き起こしたパラダイムシフト
1953年(昭和28年)の第1回「富士登山軽オートバイ競争大会」では、法令に基づく厳格なレギュレーションが存在した。参加車両は「軽二輪(4ストローク150cc以下)」および「バイクモーター(2ストローク90cc以下)」の2部門に分けられていたのである。
この結果、初代総合優勝は4スト150ccの「オートビット(藤田鉄工所)」が、バイクモーター部門は2スト60ccの「ダイヤモンドフリー(スズキ)」が飾った。
一方で、戦前から500ccオーバーの大型二輪を中心に製造していた「メグロ(目黒製作所)」や「陸王」といった名門メーカーは、規定に合致する小型車両を持っていなかったため参戦できなかった。
この「軽オートバイ限定」という排気量上限こそが、日本のバイク史における最大のパラダイムシフト(価値観の転換)を引き起こした。戦前からの名門メーカーが「バイクとは大型で重厚なものである」という旧態依然としたプライドに縛られていたのに対し、戦後の焼け野原から生まれた新興メーカーは、庶民の足となる「小型・軽量」なエンジンを死に物狂いで開発していた。急勾配の未舗装路を駆け上がるレースにおいて、重厚長大な戦前型設計よりも、軽量コンパクトな戦後型設計の方が遥かに理にかなっていたのである。
富士登山レースは、初期のモータースポーツ熱から旧名門メーカーを蚊帳の外に置き、時代が「小型・軽量・高回転」へと一気にシフトする決定的な分水嶺となった。
クラス区分の変化と「4st vs 2st」の勃発
第2回大会(1954年)以降は法令の変更に伴い、エンジンのストローク数(2st/4st)による排気量のハンデ分けから、純粋な「上限排気量によるクラス区分」へと移行していった。
1954年の90ccクラスではスズキの「コレダCO型(4スト)」が優勝して技術力を誇示し、翌1955年の第3回大会・125ccクラスでは、最後発メーカーであったヤマハが「YA-1(2スト)」で初参戦・初優勝という衝撃的なデビューウィンを飾った。1956年の最終回ではヤマハが125ccと250ccの2クラスを完全制覇している。
エンジン形式によるハンデが撤廃され、同じ排気量枠で戦うことになった第2回以降のレギュレーション変更は、その後の日本モータースポーツ史を牽引する巨大なテーマを生み出した。それが「4ストローク vs 2ストローク」のメカニズム戦争である。
高回転・多気筒化によるハイパワーを信条とする「4stのホンダ」に対し、軽量で爆発的な加速力を武器とする「2stのヤマハ・スズキ」が真っ向から激突する。この富士登山レースで培われた両陣営の全く異なる設計思想は、舞台を「浅間高原」や「WGP」へと移した後も、HY戦争やレーサーレプリカブームに至るまで、数十年にわたり日本メーカーの根幹を成す「宿命の対決」となっていくのである。
| 歴代チャンピオン機|富士登山レース | ||||
|---|---|---|---|---|
| 開催年 (回) |
クラス (部門・排気量) |
優勝マシン | メーカー | 備考 |
| 1953年 (第1回) |
軽二輪 (4スト150cc以下) |
オートビット | 藤田鉄工所 | 記念すべき初代総合優勝。当時は実用車然としたスタイル |
| バイクモーター (2スト90cc以下) |
ダイヤモンドフリー | スズキ | 2スト60cc(2馬力)。後の連覇ライダー・山下林作が騎乗 | |
| 1954年 (第2回) |
90ccクラス | コレダCO型 | スズキ | スズキが本格的な完成車で参戦・優勝し技術力を誇示 |
| 1955年 (第3回) |
125ccクラス | YA-1 | ヤマハ | 最後発ヤマハの初参戦。5.6馬力の圧倒的スペックでデビューウィン |
| 1956年 (第4回) |
125ccクラス | YA-1 | ヤマハ | 圧倒的な強さでクラス連覇を達成 |
| 250ccクラス | YC-1 | ヤマハ | 250ccクラスでも優勝し、2クラス完全制覇 | |
富士登山レースで覇権を争った1950年代のマシンたちは、現在では公道を走る中古車という枠を超え、博物館(ミュージアム)に展示されるレベルの歴史的文化財としての価値を持っている。そのため、一般的な中古車相場ではなく、ビンテージ・コレクターズアイテムとしてのプレミアム価格(応相談)となるケースが殆どである。
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