
モータースポーツの歴史において、アメリカの「デイトナ200」と双璧をなし、1970年代のロードレース界を最も熱狂させた伝説のイベントが「イモラ200マイルレース(200 Miglia di Imola)」である。イタリアのオートドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ(イモラ・サーキット)を舞台に、名物オーガナイザーであるチェッコ・コスタの「欧州版デイトナを創る」という途方もない熱意によって1972年に産声を上げた。当時の純粋なレーシングマシン(500cc)で争われていた世界GP(WGP)とは異なり、市販車ベースの大排気量750ccマシンが激突する「フォーミュラ750(F750)」規格をいち早く採用。世界中からトップライダーと強豪メーカーが賞金と名誉を求めて集結し、時には異なる排気量やエンジン形式(2ストローク対4ストローク)が入り乱れる「異種格闘技戦」として絶大な人気を誇った。
本稿では、ドゥカティが世界的なスーパーバイクメーカーへと飛躍するきっかけを作った歴史的勝利から、2ストロークモンスター「ヤマハTZ750」による恐怖の絶対支配、そして世界GPマシン時代へと至るイモラ200の狂乱の歴史を構造的に紐解いていく。また文末では、このレースが生み出した「ドゥカティ750SS(グリーンフレーム)」をはじめとする、現在天文学的な価値で取引されるプレミアム・クラシックマシンの買取査定相場についても解説する。
イモラ200マイルレースは、主に「フォーミュラ750(F750)」規格で開催された。当初は「年間200台以上生産された市販車をベースとする」という名目でスタートしたものの、改造範囲が極めて広く(エンジンケースの基本構造等を残せばフレームや足回りは自由)、さらに「公道走行不可のコンペティションモデル(市販レーサー)であっても200台生産してプライベーターに販売すればホモロゲーション(公認)を満たせる」という抜け道があった。これにより、後半は実質的に純粋なファクトリーレーサーで争われる世界GP(WGP)500ccクラスをも凌ぐ、超過激な専用マシンの開発競争へと発展していった。
本レースの歴史は、このF750という大排気量マシンの技術的進化(4ストロークから2ストロークへの過激なパワーウォーズ)を如実に映し出す鏡であった。ドゥカティ伝説の幕開けから、TZ750の無双時代、そしてWGP500ccマシンへの変遷という3つの時代区分で概観する。
| 時代 | 主要レギュレーション・クラス | 主要参戦メーカー | テーマ・ハイライト |
|---|---|---|---|
| 【第1期】 1972年〜1973年 |
F750 / 350cc(特例混走)等 | ドゥカティ、ヤマハ、MVアグスタ、トライアンフ | ドゥカティ750の伝説的な1-2フィニッシュと、350ccの2ストローク(J・サーリネン)が大排気量を打ち負かす「下剋上」の時代。 |
| 【第2期】 1974年〜1979年 |
F750(FIM世界選手権・賞金レース) | ヤマハ、スズキ、カワサキ | 4気筒2ストローク750ccという狂気のモンスター「ヤマハTZ750」の登場と、ケニー・ロバーツらによる絶対支配の黄金期。 |
| 【第3期】 1980年代 |
500cc(WGPファクトリーマシン準拠)等 | ヤマハ、スズキ、ホンダ | F750の終焉に伴い、世界GPの500ccファクトリーマシンがそのまま出走するレースへと変貌。1985年に一旦その歴史の幕を閉じる。 |

1972年4月に開催された第1回イモラ200マイルレースは、モータースポーツの歴史に永遠に刻まれる神話となった。当時のロードレース界は世界GP(WGP)500ccクラスにおいてジャコモ・アゴスチーニが絶対王者として君臨していたが、F750規格で開催されるこのイモラにおいては、彼が駆る『MVアグスタ 750S』を筆頭に、3気筒の『トライアンフ トライデント750』やホンダ『CB750レーサー』といった市販車ベースのファクトリーマシンがひしめき合っていた。この激戦の舞台へ、天才技師ファビオ・タリオーニ率いるドゥカティは『750 Imola Desmo』を投入する。それは、1950年代の小排気量レーサーで培われた独自の強制バルブ開閉機構「デスモドロミック」を、同社初となる大排気量L型ツインエンジンへと昇華させた革新的な意欲作であった。そしてレース本番、歴史的な大番狂わせが起きる。イギリス人ライダーのポール・スマートと、イタリア人ライダーのブルーノ・スパッジアーリを擁したドゥカティは、歴戦の強豪たちを次々と打ち破り、初陣にして伝説の「1-2フィニッシュ」という完璧な勝利を収めたのである。このたった一度の劇的な勝利が、それまで「小排気量の単気筒メーカー」というイメージが強かったドゥカティを、現在まで続く「大排気量スポーツ(Lツインのスーパーバイク)の絶対的ブランド」へと劇的に押し上げていく決定的な転換点(パラダイムシフト)となった。
翌1973年も衝撃的なレースとなった。前年の覇者ドゥカティをはじめとする750ccの巨大な4ストロークモンスターたちが轟音を響かせる中、総合優勝をさらったのはヤマハの天才ライダー、ヤーノ・サーリネンが駆る水冷2ストローク『TZ350』であった。わずか半分の排気量(350cc)でありながら、2ストローク特有の爆発的な加速力と圧倒的な車体の軽さ(旋回性能)を武器に、大排気量車を次々とコーナーでパッシングしていく「ジャイアント・キリング(下剋上)」を成し遂げたのである。これは、パワー至上主義だった750ccレースにおいて「軽さとハンドリング」が絶対的な武器になることを証明した歴史的事件であった。
| 第1期(1972〜1973年)を彩った代表的なマシン | |
|---|---|
| Ducati 750 Imola Desmo | ポール・スマートを乗せ1972年の初代王者に輝いた銀色の伝説。タワーシャフトとベベルギア(傘歯車)を介してカムを駆動させ、スプリングに頼らずロッカーアームで直接バルブを強制開閉する「デスモドロミック機構」をLツインに初搭載したイタリアン・メカニズムの至宝。 |
| Yamaha TZ350 | 1973年に750ccの大排気量勢を撫で斬りにした軽量2ストロークレーサー。市販レーサーTR3の後継機として水冷化され、圧倒的な旋回性能とピーキーな加速力で下剋上を成し遂げた。 |
| MV Agusta 750S (Racing) | ジャコモ・アゴスチーニが駆り、ドゥカティと死闘を演じたイタリアンモンスター。市販車ベースでありながらWGP500cc譲りのDOHC直列4気筒エンジンとシャフトドライブを搭載し、圧倒的なエキゾーストノートで観衆を魅了した。 |

1974年、イモラ200を含む「F750」規格のレースは、モータースポーツの歴史において最も過激で危険な「狂気の時代」へと突入する。その原因は、ヤマハが世に放った前代未聞のモンスターマシン『TZ750』の登場であった。水冷並列4気筒2ストローク、約130馬力という当時のタイヤ性能やシャシー剛性を完全に上回る凄まじい出力を発揮したこのマシンは、最高速において他メーカーの4ストローク勢や空冷マシンを完全に過去の産物へと葬り去った。1974年のイモラ200では、ヤマハへ移籍したばかりのジャコモ・アゴスチーニがこのTZ750を駆り、熱狂的な地元イタリアの観衆の前で見事に総合優勝を飾った。
その後、イモラ200のトップ争いは「TZ750のワンメイクレース」と呼ばれるほどヤマハの独壇場となった。スティーブ・ベーカー、ジョニー・チェコット、そして"キング"・ケニー・ロバーツらがTZ750を自在に操り、猛烈な白煙を上げてイモラを駆け抜けた。しかし、これを黙って見ていた他メーカーではない。ドゥカティは750SSをベースとしたレーサーで参戦を続け、ホンダは耐久レーサーである無敵艦隊『RCB1000』やCB750ベースのマシンで4ストロークの意地を見せた。また、2ストローク勢としてはカワサキが、じゃじゃ馬と恐れられた空冷H2R(マッハ)の後継として完全専用開発の水冷並列3気筒レーサー『KR750』を投入。ゲイリー・ニクソンらがライムグリーンの狂気としてTZ750に牙を剥き、1976年には世界王座に迫る速さを見せた。これらの「打倒TZ」に燃える脇役たちの狂気じみた開発競争によって、イモラ200は世界GP(500cc)を凌ぐほどの観客動員数(10万人超)を誇り、名実ともにヨーロッパ最大のモーターサイクルイベントとして君臨していたのである。
| 第2期(1974〜1979年)を彩った代表的なマシン | |
|---|---|
| Yamaha TZ750 | 70年代後半のF750レースを完全に支配した水冷直列4気筒2ストロークモンスター。「タイヤがもたない」ほどの凶暴なパワーで世界中を震撼させた。 |
| Kawasaki KR750 | H2Rから進化した水冷並列3気筒2ストロークレーサー。TZ750に対抗しうるライバルとして強烈なトップスピードを誇った。 |
| Honda RCB1000 / CB750改 | ホンダが世界耐久選手権で不敗神話を築いたDOHC4バルブ並列4気筒マシン等。2ストローク勢にトップスピードで劣るものの、4ストローク特有のトラクションで対抗した。 |

1970年代後半に入ると、排気デバイス等を持たない2ストローク750ccエンジンのパワー競争は異常な領域に達し、140馬力以上に達したTZ750の出力は「当時のバイアスタイヤのグリップ限界を完全に超えすぎる」という危険な状態に陥っていた。さらにTZ750の無双状態によってレースの多様性が失われたことも重なり、FIMは1979年をもってF750世界選手権を廃止する。長年このF750レギュレーションに完全準拠して開催されてきたイモラ200も、これに伴い抜本的な方針転換を余儀なくされた。1980年代に入ると、主役の座はF750市販レーサーから、当時の世界GP(WGP)最高峰クラスである「500ccファクトリーマシン」へと移行した。マルコ・ルッキネリ(スズキRGB500)やケニー・ロバーツ、エディ・ローソン(共にヤマハYZR500)といった当時のグランプリ王者がそのままGPマシンで出走し勝利を収めたが、WGP本戦のカレンダー過密化や、環境・騒音問題などの政治的逆風もあり、単独の長距離イベントとしてのイモラ200はその存在意義を徐々に薄れさせていった。
1985年のエディ・ローソンの勝利を最後に、トップカテゴリーとしてのイモラ200は惜しまれつつも歴史の幕を閉じた。しかし、このレースが残した「市販車ベースのビッグバイクによる狂乱の戦い」というDNAは、その後のスーパーバイク世界選手権(WSBK)の爆発的ヒットへと確実に受け継がれている。そして2010年以降には、当時の熱狂を後世に伝える「イモラ200 リバイバル」として復活し、ポール・スマートや当時のTZ750が再びイモラのコースを咆哮を上げて疾走するなど、今なおクラシックファンにとって特別な聖地であり続けている。
イモラ200がもたらした「市販車をベースにしたスーパーバイク」の系譜は、現代の中古バイク市場において天文学的なプレミアム価値(資産価値)を生み出している。その筆頭が、1972年のポール・スマートの勝利を記念してホモロゲーションモデルとして生産された「ドゥカティ 750SS(通称:グリーンフレーム)」である。チャンピオンレーサーの直系レプリカとして401台が生産されたこのモデルは、海外の権威あるオークションにおいて、約10万ポンド〜15万ポンド(約2,000万〜3,000万円)という凄まじい高額で落札されている。また、この750SSと同型のフレームを持つ「1975年型 900SS(ベベルギア)」や、ベベルツインの最終進化系である「MHR(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)」も、クラシック・ドゥカティの至宝として確固たる高額査定を維持している。
一方、第2期を支配したTZ750のDNAを受け継ぐ日本の2ストロークマシンの系譜(ヤマハRZ350/250、スズキRG500/400ガンマ等)や、ライバルKR750のルーツとなった750SSマッハH2に500SSマッハH1、さらに第1期で覇権を競ったCB750レーサーのベース機CB750FOURなど。時代に痕跡を残した歴史的背景から世界中で再評価が進み、完全な旧車プレミアム相場を形成している。特に数千万円超の価値を持つ750SSなどの歴史的名車群については、車両のコンディションもさることながら、各構成パーツの真贋、フレームとエンジンのマッチング、さらには打刻されている識別番号(シリアルナンバー)によっても査定額は大きく変化するため、圧倒的な専門知識を持つ当社バイクパッションの様な買取業者への査定依頼が欠かせない。
買取上限
868 万円相場平均
868 万円買取上限
307 万円相場平均
39.5~125 万円買取上限
191 万円相場平均
168~179 万円買取上限
390 万円相場平均
173~257 万円買取上限
311 万円相場平均
112~178 万円買取上限
419 万円相場平均
43.7~155 万円買取上限
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