
2輪モータースポーツの歴史において、1970年代ほど「市販車ベースのレーシングマシン」が過激で危険な進化を遂げた時代はない。その狂乱の中心にあったのが「FIM フォーミュラ750(Formula 750)世界選手権」である。
ベースとなった「F750規定」は、もともとアメリカのAMAが1970年代初頭(1970年〜1971年頃)から「デイトナ200」などで大排気量市販車をイコールコンディションで戦わせるためにいち早く採用したローカルルールであったが、このド迫力なバトルが欧州(イモラ200等)へ波及し大ヒットした結果、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が1973年に独立したシリーズ戦(FIMプライズ)として設立。1977年には正式な「世界選手権」へと昇格を果たした。
当時の「フォーミュラ」規定は、「年間200台生産された市販車をベースとする」という名目でありながら、改造範囲が極めて広く、さらに「市販レーサーであっても200台生産してプライベーターに販売すれば公認を満たせる」という致命的なルールの抜け穴が存在した。結果として、このクラスは実質的なファクトリーマシンの実験場と化し、WGP(世界GP)500ccクラスをも凌駕する超過激なパワーウォーズへと発展していく。
F750というカテゴリーがいかにして誕生し、そして消滅していったのか。同時代に行われていた主要な大排気量・市販車ベースレースとの位置関係と歴史的な遷移を整理する。
| 時代順 | レース名称(開催形式) | 市販車ベース レースの変遷 |
|---|---|---|
| 1907年〜 | マン島TTレース (単発・公道) |
世界最古の公道レース。後に安全上の理由からWGPカレンダーを外れるが、その救済策としてTT-F1規格(F750の後継)が誕生する。 |
| 1937年〜 | デイトナ200 (単発・サーキット等) |
アメリカ最大の2輪レース。ここで採用された「AMA F750規定」が、後のF750世界選手権の直接的な基礎ルールとなった。 |
| 1972年〜 | イモラ200 (単発・サーキット) |
「欧州版デイトナ」としてF750規定をいち早く採用。この大成功を見たFIMが、翌年(1973年)からF750のシリーズ戦化を決定する。 |
| 1973年〜1979年 | F750世界選手権 (シリーズ戦・サーキット) |
デイトナやイモラ等のビッグレースを内包した「大排気量レースの頂点」。2ストロークの過激化により自滅し、短命に終わる。 |
| 1976年〜 | AMAスーパーバイク (シリーズ戦・サーキット) |
F750が2ストロークマシンの独壇場となったため、4ストローク大排気量市販車(Z1やBMW等)の活躍の場としてアメリカで新設。WSBKの直接的な源流となる。 |
| 1977年〜1989年 | TT-F1世界選手権 (シリーズ戦・サーキット/公道) |
行き過ぎた2ストロークのF750に代わり、マン島TTを維持するために新設された「4ストローク市販車」による世界選手権。 |
| 1988年〜 | WSBK(スーパーバイク) (シリーズ戦・サーキット) |
TT-F1に代わる、現代の市販車最高峰。F750の失敗を教訓に、より厳密なホモロゲーション(公道用市販車の生産台数)を規定している。 |
市販車ベースレースにおけるフォーミュラ750(F750)世界選手権の歴史的な立ち位置が分かったところで、本レースについて掘り下げていく。
開催初期は、各国のメーカーが威信をかけた多種多様なエンジン形式(2ストローク対4ストローク)が入り乱れ、まさに時代を彩った歴史的名機の祭典の様相を呈していた。これらの参戦マシンやそのベースとなった市販モデルは、今日のクラシックバイク市場においても数千万円単位で取引されるプレミアムマシンを数多く輩出している(※買取査定相場については記事末尾にて言及する)。
本稿では、この狂乱のレース史を、ドゥカティやホンダらの4ストローク勢が活躍した創世記から、水冷2ストロークの台頭、TZ750による絶対支配、そして崩壊に至るまでの3つの時代区分で概観する。

FIMのシリーズ戦としてスタートした初期、グリッドには世界初の4気筒公道モデルであるCB750FOURベースの『空冷CB750レーサー』や、72年のイモラを制したドゥカティの空冷Lツイン『750 Imola Desmo(後の750SS)』、そしてトライアンフの空冷3気筒『トライデント750(ロブノース)』など、多彩な4ストロークマシンの轟音が響いていた。しかし、技術の波は残酷なほど速かった。
その最大のターニングポイントとなったのが、2ストロークエンジンの「水冷化」である。空冷では焼き付きなどの熱限界に達していた大排気量2ストロークエンジンも、ウォータージャケットを採用することでその壁を完全に突破した。スズキは市販水冷2ストロークのGT750をベースにしたレーサー『TR750』を投入し、1973年にはバリー・シーンが初代チャンピオン(FIMプライズ獲得)に輝く。これに対抗すべく、カワサキも750SSベースの空冷レーサーH2Rの後継として完全水冷の『KR750』を開発。水冷化によって130馬力超という狂気の出力を手に入れた2ストローク勢の前に4ストローク勢は太刀打ちできなくなり、F750はまたたく間に「日本メーカー製の水冷2ストロークマシンの独壇場」へと変貌を遂げた。
| 第1期(1973〜1976年)を彩った代表的なマシン | |
|---|---|
| Suzuki TR750 | GT750ベースの水冷3気筒2ストロークレーサー。1973年にバリー・シーンが初代王者を獲得し、2ストローク時代の扉を開いた。 |
| Kawasaki KR750 | 水冷並列3気筒。ゲイリー・ニクソンらが乗り、凄まじいトップスピードでF750のパワー競争を牽引したライムグリーンの狂気。 |
| Yamaha TZ700 / TZ750 | 1974年に登場した水冷直列4気筒の怪鳥。ジャック・フィンドレイ(1975年)、ビクトル・パロモ(1976年)が王座を獲得。 |

1977年、F750は正式な「FIM世界選手権」へと昇格する。しかし皮肉なことに、この栄誉あるタイトルは単一メーカーの絶対的支配(モノポリー)によって色褪せていくこととなる。ルールの抜け穴を突いて200台が市販された純粋なコンペティションモデル、ヤマハ『TZ750』の登場である。
排気デバイスを持たない140馬力超の暴力的なパワーと、市販レーサーゆえの圧倒的なパーツ供給力を前に、スズキやカワサキのファクトリー勢は次々と撤退。スターティンググリッドの9割以上がイエローとブラックのスピードブロックカラー(あるいはプライベーターのオリジナルカラー)のTZ750で埋め尽くされるという、通称「ヤマハ・カップ」と呼ばれる異常事態に陥ったのである。
この過酷なワンメイク状態の中、スターライダーたちは猛烈な白煙を上げながらタイヤをスライドさせて死闘を演じた。1977年にスティーブ・ベーカーが、1978年にはジョニー・チェコットが、そして1979年にはパトリック・ポンスが王者に輝いた。彼らはみな、TZ750の獰猛なパワーをねじ伏せる超人的なライディングスキルを持っていた。
| 第2期(1977〜1979年)の歴代世界チャンピオン(全員TZ750) | |
|---|---|
| 1977年 | スティーブ・ベーカー(Steve Baker / カナダ) |
| 1978年 | ジョニー・チェコット(Johnny Cecotto / ベネズエラ) |
| 1979年 | パトリック・ポンス(Patrick Pons / フランス) |

F750世界選手権は、1979年シーズンをもって突如として消滅する。その最大の理由は「安全性」であった。極限までチューニングされたTZ750の出力は、当時のバイアスタイヤのグリップ性能やシャシー剛性を完全に上回っており、高速コーナーでタイヤがバーストするなどの重大事故が相次いだのである。さらに、特定の市販レーサー(TZ750)しか勝てないという状況は、本来の「市販車ベース」という理念から大きく逸脱しており、多くのマニュファクチャラーの興味を削いでいた。
FIMはF750の廃止後、公道用4ストローク市販車のエンジンをベースとした「TT-F1」クラスを世界選手権の新たな軸に据えた。そしてこのTT-F1をさらに厳密な公道市販車(ホモロゲーション)のルールへと洗練させたのが、1988年から始まる現在の「スーパーバイク世界選手権(WSBK)」である。F750は、行き過ぎた2ストロークの狂気によって自滅したカテゴリーであったが、その教訓は間違いなく現代の市販車レースの壮大な基礎となっている。
F750の狂乱の時代を戦い抜いたマシンや、そのベースとなった大排気量市販車は、現代の中古バイク市場において歴史的文化財(ミュージアムピース)として天文学的なプレミアム相場を形成している。
当時のグリッドを席巻した「ヤマハ TZ750」などの純粋なコンペティションモデルは、オークション市場に出ること自体が稀であり、オリジナルのマッチングナンバーや当時のワークスヒストリー(著名ライダーの搭乗歴など)が証明されれば、数千万円単位の価格で落札される究極のコレクターズアイテムである。同様以上の査定金額が付く公道モデルとしては74年の750SSは同時代の筆頭であろう
また、F750初期を支え、世界初の直列4気筒公道モデルとして歴史を変えたベース機「ホンダ CB750FOUR」をはじめ、公道モデル市販車としてのルーツを持つ「スズキ GT750(通称ウォーターバッファロー)」や、狂気の3気筒「カワサキ 750SS(H2/マッハIV)」、そしてヤマハの2ストロークモデル群は歴史的名機として、元祖空冷4発のCB750FourやZ1/Z2系譜と共に買取相場は右肩上がりである。
買取上限
170 万円相場平均
74.9~112 万円買取上限
868 万円相場平均
868 万円買取上限
311 万円相場平均
112~178 万円買取上限
307 万円相場平均
39.5~125 万円買取上限
419 万円相場平均
43.7~155 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円
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