ハーレー超えを本気で目指したブランドの名跡を継いだ戦前最後の名車たちとWシリーズの血脈
日本におけるエンジン開発の大家・友野直二に師事した村田延治氏により、1937年から独立したオートバイ製造会社としての歴史をスタートさせた目黒製作所。 同社初の量販オートバイとして生み出した「メグロ号」を皮切りに、日本バイク史上に名を残すマシンを輩出し続けた名門中の名門と呼べる伝説的ブランドのひとつです。 単独メーカーとしての歴史は1962年に途絶えてしまったものの、その技術を受け継いだ現カワサキによりメグロの象徴であったバーチカルツイン搭載のW650を始め、排気量800ccエンジンを「メグロ K3』のリリースによって令和の世に蘇ったのは記憶に新しいところ。 その名門・メグロの代表作と今日現在まで行き続けている正当後継モデルのカワサキ・Wシリーズの歩みを振り返ってみましょう。
戦前戦後の目黒製作所としての歩みをクローズアップし、簡易版のカワサキWシリーズ年表と共に解説させていただきます。
| Z97/98の概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| Z97 | 1937 | 498cc 4スト OHV単気筒 |
11馬力 | 80km |
| Z98 | 1938 | 13馬力 | 80km | |
『目黒製作所』初の量販オートバイとして、以降同社の全てのオートバイの原点となった存在が1937年(昭和12年)にデビューしたZ97式。
これは大正12年、目黒製作所代表である村田氏が和製ハーレーを目指して手がけた試作車『ヂャイアント号』での失敗と反省を活かし、英国の名門メーカー・ヴェロセット社のKSSのフレームとボディに倣った車体と1932年より目黒製作所が手がけていたスイス・モトサコシ社の自動車用エンジン・MAGとを組み合わせたモデルで、「メグロのギヤーボックス」として高く評価された自社製ギアボックスを組み込み信頼性を強化した同社初の市販車両でした。
この記念すべき第1号のお披露目は東京は目黒区の雅叙園にて開催され、当時としては異例とも言える200人もの業界関係者が集まり、自動車用エンジンとパーツメーカーの位置付けであった目黒製作所の技術力の高さを見せつけ大いに評判を呼びました。しかし1930年代と言えば近代的な量産体制は確立されておらず、ほぼ全てを手作業で組み立てていく必要があり、広告費などの捻出も難しかったことから大口受注が見込める軍用車か警察車両としてのアピールを行うことに決定。メインターゲットが日本陸軍であったことから、採用確率を少しでも高めるべく型式番号を当時の軍部で用いられた「皇紀」にリリース初年を当てはめた2597年の後半二桁を抜粋し、目黒製作所の不退転の思いを託した「Z」の文字と組み合わせたことにより「Z97式」として売り込みを開始。
しかしこの涙ぐましい努力は実らず、日本陸軍における軍用車としての受注は適わず、村田氏は量販高級オートバイとしてのブランド力を高める方へとベクトルを変換することに。こうして翌1938年にリリースされたのがZ97式の改良型である『Z98式』で、車体とエンジンこそ同一ながらもガソリンタンクのデザイン変更やリアキャリア装着といった変更を加え、地道ながらもオートバイ製造会社としての実績を高めつつ、Z97式で無念となった陸軍や警察への売り込みも継続。残念ながらその願いは適わず、1937年より始まった「大東亜戦争」から発展した1941年の太平洋戦争により、オートバイ製造会社としての業務を休止することを余儀なくされました。
Z97とZ98を合わせて300台余りが生産されましたが、戦前のモデルとあって現存すしていること自体が希少な機種。もし中古マーケットに流れてきた際には 驚愕の査定額となりそうです。因みに1905年発売のハーレー1号機は北米のオークションで25万ドルで落札された記録があります。

大東亜戦争から始まった戦争は長きに渡り、その間の目黒製作所は軍需工場としての奉仕を求められる苦渋の日々を余儀なくされていましたが、太平洋戦争が終結した1947年に晴れて自由に。軍需工場となっていた1944年、戦火を避けるために工場設備を避難させた栃木県・烏山工場から工場設備一式を創業の地である東京・目黒区へと戻し、再びオートバイ製造メーカーとしての活動を再開しました。
| 戦後メグロZシリーズの概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| Z号 | 1948 | 498cc 4スト OHV単気筒 |
13馬力 | 100km |
| Z2 | 1951 | |||
| Z3 | 1952 | 15馬力 | ||
| Z5 | 1954 | 16馬力 | 110km | |
| Z6 | 1955 | 20.2馬力 | 120km | |
| Z7 スタミナ | 1956年 | |||
太平洋戦争の終結により、再びオートバイ製造事業を再開させることとなった目黒製作所でしたが、焼け野原と化した戦後まもない時期での新たなオートバイを開発するまでの余力はなく、村田氏らは戦前に製造販売していたZ98式の名称を「Z」と改め製造年度を示す数字を付与したリニューアル車での再出発となりました。
こうして販売された戦後初のメグロ号・Z式、排気量が異なる2種類のエンジンや車体の基本もZ98式と同様でしたが、やはり戦後の復興が最優先であったため以前と全く同じ材料を調達することは難しく、加工も難しかったため車体サイズが若干変わっているのが特徴。車体で言えばホイールベースが30mm長く、ハンドルの長さも30mm短め。搭載されるエンジンの基本構造は以前と同じであったものの、鋳鉄のための設備問題などで重量増加が避けられず、戦前のZ98式よりもかなり重い仕様となってしまいました。ただし、軍需工場となっていた間も技術の研鑽を怠らなかった村田氏らの努力により、498ccエンジン搭載モデルの最高出力は13PSにまで高められ、このビハインドを覆すだけのハイパワー化を実現。これにより市場での評判と期待に応えることができた目黒製作所は1951年までZ式を製造販売し、オートバイ製造会社としての体力を着実に強化。
その間にも新たなオートバイ開発計画は進められ、1951年にはZ号のガーターフォークを油圧式フォークへと変更した改良モデル・メグロ Z2型を投入。Z型をベースに改良を加えたZシリーズは好評を博し、以後世代を重ねるごとに新技術を盛り込んで1960年までメグロの代名詞として活躍しました。
戦前のZ97からはじまりZ7 スタミナで終焉を迎えたメグロZシリーズ。唯一買取相場を持っているのが4,000台超が生産されたZ7 スタミナ(事故車・不動車のデータではメグロ Z5も相場を持っています)。 2025年現在、買取相場を持っているメグロ全12機種の中では最もプレミアムが付いています。
仮にですが、奇跡の存在とまでと言われるZ号597ccモデルが存在していた際には驚異の査定額が付くことは間違いないでしょう。

| メグロ Kシリーズの概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| K1 | 1960 | 497cc 4ストOHV 並列2気筒 |
33馬力 | 155km |
| K2 | 1965 | 36馬力 | 165km | |
戦前のZ97式から始まり、メグロを象徴する500ccエンジン搭載モデルは根強い支持者によって高い人気を維持していたものの、台頭してきたその他オートバイメーカーとの競争に打ち勝つべく、よりハイパワーな500ccモデルを生み出すことが課題となっていました。そんな情勢の中、エンジンシリンダーを増やすことで物理的な余裕を生み出した並列2気筒エンジン搭載機「セニア号(Tシリーズ)」を生み出すことに成功。セニア号が新聞社などを中心に反響を呼んだことにより、村田氏はこの並列2気筒エンジンをダウンサイジング化し、新たな500cc単気筒マシンを生み出すことに踏み切ることに。
こうした経緯から生み出されたのが1960年に登場した"1K"こと『メグロ K型』で、Zの愛称であったスタミナの名を継承し、最高出力33PSというハイパワーと英国車を規範とした高級感のある佇まいが特徴で、後のカワサキ・W1の原点にもなったことで知られる伝説的な名車のひとつです。その大半は東京オリンピックの警備車両として警視庁へ納入され、「メグロ KP」として同オリンピックの先導を任される栄誉を与えられましたが初年度モデルの販売台数はさほど多くはなく、翌年以降のイヤーモデルが現存台数の大多数を占めています。
メグロ車の象徴であるバーチカルツインがメジャーになったモデルでもあり、1965年に目黒製作所が倒産した後はカワサキがこのK1を手本とした後継モデル・K2を生み出したことは余りにも有名で、独立メーカーとしての目黒製作所の最期を飾った象徴的なマシンだと言えるでしょう。
50年代以前のZシリーズはZ5とZ7が買取相場を持つのみでしたが、1960年代のKシリーズは両機とも買取相場を持っています。 1959年にはGPレーサーからフィードバックを受けた250cc世界最速機スーパースポーツCB92をリリースするなど現存の2輪メーカーの名機を含め、 この時代の機種から中古市場での取引が定期的に散見されるようになります。
Kシリーズは希少性という側面ではZシリーズに劣るもののコンディションによってはZ7に準じた査定額が期待できます。

| セニアTシリーズの概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| セニアT1 | 1955 | 651cc 4ストOHV 並列2気筒 |
29.5馬力 | 130km |
| セニアT1 | 1957 | 32馬力 | 130km | |
着々と改良を重ねるZシリーズで企業としての足場を確かなものにしてきたメグロでしたが、スーパーカブC100の大ヒットで台頭してきたホンダなどのメーカーへの対抗策が喫緊の課題となっていました。思案投げ首での検討が続いた結果、目黒製作所技術陣は自社が得意とする大排気量オートバイのさらなる強化を決意し、単気筒エンジンの構造上の限界を打破するべく多気筒化を選択。この選択により、従来の497cc単気筒エンジンからの脱却を図ったのが1955年に登場した『メグロ セニアT型(セニア T1)』。
当時としては斬新な電気溶接による新型ダブルクレードルフレームを設計し、英国車風の高級感ある外装類にてセットアップ。このボディに各シリンダーが独立したシリンダブロック構造を用いた並列2気筒エンジンを搭載し、排気量651ccというアドバンテージで最高出力30PSに迫るハイパワーを実現。1955年当時としては日本国内最高と言えるほどのハイスペックマシンでしたが、製造コストが嵩んだことで従来のZシリーズよりも割高な価格があだとなり、400台程度というわずかな製造台数を以って生産打ち切りに。
このセニアT1での失敗により、1957年にはZ7 スタミナの構成パーツを用いて製造コスト削減化を図った『セニア T2』が廉価モデルとして送り出されたものの、250ccの小排気量ながら軽快な運動性能と優れた出力特性を兼ね備えたホンダ・ドリームC70などに販売面で遅れを取り、1960年初に生産終了。このセニア号で生み出されたバーチカルツインエンジンは"1K"ことスタミナ K1へと受け継がれ、ダウンサイジングモデルながらセニア号を上回るハイスペックぶりで巻き返しを図りました。
セールスが振るなかったこともあり中古市場での流通が無く買取相場が存在しないセニアTシリーズ。しかしながら、メグロ最大排気量の威光と希少性によってかなりの高額査定が期待できます。

| レックスシリーズの概要と買取相場 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| Y1 | 1953 | 348cc 4ストOHV 単気筒 |
13馬力 | 100km |
| Y2 | 1957 | 16.5馬力 | 110km | |
前述セニア号にて触れた通り、後発の新興メーカー勢への対抗策を検討していた目黒製作所でしたが、実はそれ以前には小排気量車と大排気量車の長所を融合させた中間クラスでの対抗を試みた時期がありました。
結果的には6年と短かったものの、その中で生み出されたY型レックス号は500ccクラスの車体に350ccエンジンを搭載し、近代工学による操作安定性の向上化が図られた画期的なモデルのひとつで、重厚感のあるクラシカルな大型車専門メーカーであったメグロ製オートバイの中では珍しくスポーツ志向だったと言えるでしょう。
この試みは残念ながら実を結ばなかったものの、1957年に販売された後継モデルのレックスY2型では特殊な鋳造工程を経て製造される「センダイトメタル」をエンジン構成素材として採用し、後に登場するセニア号(T2)などに見られる高出力エンジン開発の叩き台になるなど、メグロ史を振り返る上でも興味深い存在のひとつ。丸みのあるプレス加工パーツを用いた外装類による独特なデザイン、鋼管と鋼板とを組み合わせたメグロ製バイクとしては唯一の合成フレームの採用など、新興メーカー勢に対抗するために多くの試みがなされた生き証人とも言えるシリーズです。
中間排気量として生産台数が少なかったことから中古市場での取引が無く、買取相場が存在しないレックスシリーズですが、ミドルクラスとして相応しいプレミアムが付くことは間違いありません。

| メグロ・ジュニアシリーズの概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| ジュニア号 | 1950 | 246cc | 7馬力 | 70km |
| ジュニアJ2型 | 1951 | 248cc 4ストOHV 単気筒 |
||
| ジュニアS | 1953 | |||
| S2 | 1954 | 10馬力 | 90km | |
| S3 | 1956 | 95km | ||
| S5 | 1959 | 11.5馬力 | 100km | |
| S7 | 1960 | 13.5馬力 | 105km | |
| S8 | 1963 | 110km | ||
| SGT | 1964 | 18馬力 | 130km | |
| SG | 1965 | |||
太平洋戦争の終結から3年の歳月が流れた1950年、日本初の250ccオートバイとして耳目を集めたのが、オート三輪「くろがね号」を製造した日本内燃機の創業者兼開発技師であった蒔田鐵司氏を招き製造されたことメグロ J型。一般向け名称である「ジュニア号」は後のSシリーズへと受け継がれ、メグロのブランド名を冠した最後のモデルとなった『カワサキ250 メグロSG』のご先祖様にあたるモデルです。
目黒製作所にとって、金看板にして主力モデルであったZシリーズの子供的存在というコンセプトで生み出されたことが「ジュニア」の由来となっており、プッシュロッドを内包する独特なエンジン形状が最大の特徴。生産期間はわずか12ヶ月と短命に終わったものの、1952年に改良版として販売されたジュニア号J2ではボア×ストロークが65×75mmへと変わり、ジュニアシリーズの最後を飾ったメグロSGまで続くメグロ250ccエンジンの規格を決定した存在。主力モデルのZシリーズに先駆け、メグロ初のテレスコピックフォークを採用したエポックメーカー的な側面もあり、製造コストを抑えるためにリアショックのないリジッドフレームで乗り心地はさほど良くないものの、ガーターフォークよりも格段に優れた路面追従性や軽排気量ならではの扱いやすさが好評を博し、「親しみやすいメグロ」のイメージを樹立した決定打となり、メグロの屋台骨を支える存在として後のSシリーズにバトンを託すことに。
ジュニア号J1と入れ替わる形で登場したジュニア号J2では、エンジンのタイミングカバーが特徴的な「Y字」(ハート型)形状へと変わり、後のメグロ車全般に受け継がれるエンジン意匠を決定。1952年12月に製造された最初期型はJ1の車体をそのまま流用した仕様でしたが、年をまたいだ翌月の1953年1月以降は新設計のシングルクレードルフレームが用意され量販体制を確立。メグロを象徴するアイコンのひとつとなった「メグロウイング」のタンクエンブレムがタンクに付与されたことも大きなポイントで、Y字カバーと共にメグロ製オートバイのデザインを不変のものにした原点でもあります。このジュニア号J2は非常に優れた造形でしたが、運転免許制度の見直しで軽二輪免許が新たに設けられたことに伴い、それに対応する上位グレードとして排気量を288ccへ拡大する格上げが決まったことで廃版化。翌1953年からは前述した排気量288ccの新エンジン・G型機関を搭載した「メグロ ジュニアJ3」となり、他社への外販用機関としても提供されました。
こうしてロールアウトしたジュニア号Jシリーズと入れ替わる形で登場したのがジュニアSシリーズで、1953年より販売開始となったファーストナンバーの『メグロ ジュニアS』はジュニアJ2のボディをそっくりそのまま受け継ぎつつ、従来のJ型エンジンから排気ポートを1ポート化した新設計のK型エンジンを搭載。最高出力は7PSと据え置きでしたが、ピークパワー発生回転数は4,200rpmへと引き上げられ、吹け上がりのよさと優れたデザイン性にリーズナブルな価格設定とが若者たちの心をつかみ、1953年10月から1954年5月までと短い現役期間に2,000台近くを売り上げるヒット作に。その後もジュニアSをベースにメグロ初の4速ロータリーミッションを採用したジュニアS2、ティアドロップタンクやリアにプランジャー緩衝器を採用したメグロ一の売れっ子となったジュニアS3など、代を重ねる毎にファンを増やし、1964年の『カワサキ250・メグロSG』を以って実に7代にも渡る長い歴史に幕を下ろしました。
メグロのセールスを支えた最大の人気シリーズ。生産台数も多いことから中古市場で最も取引されているMEGUROのシリーズで、最終となった1965年のSGに至っては毎年コンスタントに取引が記録されています。
1965年と言えばSUZUKIが世界最速のクオーター(250cc)マシンT20を、翌年には最速を更新する A1がKawasakiからリリースされていますが、当時のライバル機もジュニアSシリーズと同水準の買取相場が付いています。
ジュニアシリーズにおいて、最も古い機種で買取相場を持っているのが1956年のS3ですが、S3からSGまでは査定額に大きな差はありません。現存すること自体が稀少なJ型ジュニアになると査定額は大きく飛躍いたします。

| キャディット・アーガス・レジナなどの概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 最高時速 | |
| J3 | 1953 | 288cc | 8馬力 | 70km |
| レジナE型 | 1955 | 123cc | 5.2馬力 | 70km |
| レジナE2 | 1957 | |||
| レジナE3 | 1958 | OHC | 8.2馬力 | 85km |
| 250F | 249cc OHC |
14.8馬力 | 115km | |
| FY | 1959 | 325cc | 19.5 | 120馬力 |
| YAアーガス | ||||
| キャデットCA | 1960 | 123cc | 7.5馬力 | 90km |
| キャデットCAS | 8馬力 | |||
| アミカMA | 50cc 2スト |
4.2馬力 | 80km | |
| アミカMAS | 4.5馬力 | 90km | ||
| DAレンジャー | 1961 | 164cc | 10馬力 | 110km |
| ATオートラック | 1962 | 248cc | 12.5馬力 | 90km |
| J8アーガス | 1963 | 288cc | 15馬力 | 115km |
ジュニアJ3
1950年に250ccで展開されたジュニアJ型の後継ボアアップ機。1951年のJ2を経て、1953年にはJ3Aとなりましたが、ボア径を5mm拡張した288cc搭載機がJ3です。レジナE
123ccOHV4スト単気筒を搭載し、メグロ初の2輪小型車として1955年にリリースされたのがレジナE型です。250F
レーサー譲りのOHC機構が採用された250ccモデル。同排気量ながらOHV機構のジュニアS3比では4.8馬力 高出力のオンロードスポーツ。 OHC125ccのオンロードスポーツ・レジナE3とは並行開発の同時発売です。レーサー由来のOHCエンジンは翌59年のFY並びにYAアーガス(325cc)にも採用されました。350FY
メグロのレーサーシリーズに採用されていたOHC機構を採用し1959年に発売されたFY。前年に発売されていた250Fのスケールアップ版としてリリースされましたがセールスが振るわず、 スクランブラー仕様のバリエーション機YAアーガスが実質上の後継機として同年に発売されました。YAアーガス
1952年の288cc単気筒搭載機J3が、翌53年に348cc単気筒のレックスYに進化、57年には後継機Y2となり継続していたメグロ300ccクラスの最終シリーズがアーガスです。キャデットCA
レジナEシリーズ以来の125ccクラスとなるのが、セルモーターを装備して1960年に発売されたキャデットCA。バリエーションとしてスポーツタイプのキャデットCASも展開されました。アミカMA
メグロ最小排気量にして唯一の原付モデル、更には唯一の2ストローク機として発売されたのが1960年のアミカMA。バリエーションとしてスポーツタイプのアミカMASも展開されました。DAレンジャー
メグロで唯一展開された170ccクラスとして1961年に発売されたDAレンジャー。ATオートラック
S7のバリエーションとして後輪周りアレンジし大きなリアキャリアを備えた運搬用途車。 いずれもメインから少し外れたメグロの亜流シリーズ。生産台数も少ないことから中古市場で取引されることが殆どないシリーズでもあります。
| MEGURO レーサーの概要と買取相場 | |||
|---|---|---|---|
| 投入 | エンジン | 浅間火山レース戦績 | |
| RZ | 1955 | 498cc OHC 32馬力 |
参戦 |
| RZ | 1957 | DOHC 2バルブ |
優勝 |
| RY | 343cc OHC |
参戦 | |
| RG | 247cc OHC |
参戦 | |
| RR | 1959 | 498cc OHC |
参戦 |
戦後の1950年代に始まり、当時日本最大のバイクレースであったのが1953年に第1回大会が開催された富士登山レースと、1955年に第1回大会が開催された第1回浅間高原=浅間火山 (全日本オートバイ耐久ロード)レース。 メグロが照準を合わせたのは第1回の全日本オートバイ耐久ロードレース。
500ccクラスで初参戦を果たしたレーサーマシンは、公道モデルZ5をチューンした「RZ」
Z5の最大16馬力に対し、OHCを採用した同498ccエンジンは最大32馬力までパワーアップ。残念ながら入賞には届きませんでしたが、1957年開催の第2回大会で雪辱を果たします。
第2回大会では、DOHC 2バルブ化した改良型RZで参戦。見事500ccクラスでワン・ツーフィニッシュを飾ります。
350ccクラスでは初代RZをスケールダウンした「RY」が、250ccクラスでは「RG」が参戦を果たしますが、こちらは表彰台には昇れませんでした。
最終となった第3回大会は、初代OHC機構のRZベースのRRで参戦しましたが、入賞は果たせませんでした。
因みに富士登山レース並びに浅間高原レースの第1回大会は、500ccクラスと350ccクラスでHONDAが優勝。 ヤマハの1号機YA-1が1955年大会の125cc市販車部門を制覇。1957年大会はYDレーサーが250ccクラスを制覇。
SUZUKIは、コレダCOで1954年の富士登山レース90ccクラスで優勝するなど、戦前メーカーと戦後メーカーの世代交代を象徴するような戦績ではないでしょうか。

| W1~W3シリーズの概要 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 発売 | エンジン | 最高馬力 | 新車価格 | |
| W1 | 1966 | 624cc 4ストOHV 2バルブ 2気筒 |
50馬力 | 32.8万円 |
| W1S | 1968 | 53馬力 | 34.8万円 | |
| W2SS | 1925$ | |||
| W2TT | 1450$ | |||
| W1SA | 1971 | 34.8万円 | ||
| W3 | 1973 | 38.3万円 | ||
国内仕様車
1966年~1967年…カワサキ W1 カワサキ初の北米市場戦略車として生を受けた「ダブワン」シリーズの始祖。目黒製作所のスタミナK1に搭載されていたバーチカルツインの造形に自社技術で出力向上を果たした新型エンジンは最高出力47PSを誇り日本国内最強マシンとして一躍名を馳せることに。海外専用車
1968年~1969年…W2SS キャブトンマフラーにタックロールシートと専用フェンダーなどを採用したW1海外仕様の上位グレード。
買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
82.6 万円相場平均
76.2~78.3 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
53.8 万円相場平均
53.8 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
54.9 万円相場平均
25.5~36.5 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
55.5 万円相場平均
55.5 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
113 万円相場平均
113 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円買取上限
69.4 万円相場平均
46.4~55.7 万円買取上限
88.2 万円相場平均
56.9~67.1 万円買取上限
69.2 万円相場平均
47.9~58.5 万円買取上限
N/A 万円相場平均
N/A 万円
【リピーターやご紹介のお客様が非常に多い】
のは、お客様の立場に立った誠実な査定と相場以上での高額査定が評価されてのことだと自負しております。
事実、パッションのバイク買取査定はお客様満足度95%超!
弊社パッションは最高の接客と特別な買取価格で常にお客様満足度No1を追求しています。
【当社の査定員はみんな査定資格とマナー講習を修了】
お客様が気持ちよく満足してオートバイを売るできる事がとても大切だと考えています。
買取提示価格がお客様のご希望金額に届かない等、御満足頂けない 場合は買取不成立となりますが、その場合もパッションの査定はモチロン無料です!
査定は全て、最初から最後まで無料。安心してお気軽に最高の無料査定をお試しして頂けます。
ご希望の日時に車両の保管場所にお伺い致します。今日当日も対応。
ご到着~査定~お支払い~お手続き~車両の引上げまでトータルの所要時間は平均して約20分です
査定金額にご納得いただけた場合、即日現金でお支払いいたします。
買取証明書を発行して、クーリングオフや廃車手続きなどについてご案内させて頂きます
査定金額にご満足いただけない場合は買取不成立となります。
その場合も査定は完全無料です。無駄に交渉を重ねることは一切なく、速やかに辞去させて頂きます
買取後に車両を引き上げさせて頂きます。廃車手続きは弊社で無償代行致します。
廃車証のコピーは10日~2週間程でお客様のお手元に届きます
【即日対応!資格を持った査定士がお伺いいたします】
全国の支店からご希望日時に出張査定にお伺いしています。弊社の査定員は全員。査定士の資格を取得し、マナー講習を修了しております。
リピーターやご紹介のお客様が非常に多いのには理由がございます。
最高の査定額と最上のご対応でお客様のご期待にお応えいたします。

▼下記のいずれか1つ
・125cc以下:標識交付証明書
・126cc以上250cc以下:軽自動車届出済証
・251cc以上:自動車検査証
※登録書類が無くても、ご登録名義と住所が分かれば買取に支障はございません

査定にお立会い頂くご本人様の身分証をご提示ください。コピーなどは必要ございません。
(オートバイの名義人と売却される方が同一である必要はございません)
買取成立となった場合、お客様のサインを頂戴しております。